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那覇地方裁判所 昭和56年(行ウ)6号 判決

那覇市壷屋一丁目二八番一四号

原告

仲村元昭

右訴訟代理人弁護士

西平守儀

武原元省

那覇市旭町九番地

被告

那覇税務署長

宮城松栄

榎本恒男

丸山稔

安里国基

金城俊夫

仲大安勇

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五〇年五月二八日付で原告の一九七二年度分所得税についてした更正及び過少申告加算税賦課決定の各処分(ただし異議申立てに対する決定により一部取り消された後のもの)のうち、総所得金額アメリカ合衆国通貨(以下同じ)三万一九二七ドル四七セント(九七三万八七八円)を基礎として算出される税額を超える部分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告の一九七二年度(一九七一年四月一日から一九七二年末日まで)分所得税についての課税処分及び不服申立ての経緯は、別表のとおりである。

2  しかしながら、原告の一九七二年度分の総所得金額は三万一九二七ドル四七セントであるから、被告が原告の右年度分所得税についてした更正及び過少申告加算税賦課決定の各処分(ただし、異議申立てに対する決定により一部取り消された後のもの。以下、右各処分を一括して「本件処分」というが、右更正処分を「本件更正処分」、右加算税賦課決定処分を「本件賦課決定処分」ということもある。)のうち右金額を基礎として算出される税額を超える部分は、原告の所得を過大に認定した違法があるので、その取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1の事実は認め、同2の主張は争う。

三  被告の主張

1  原告の一九七二年度分所得税の総所得金額は、七万八一九六ドル五九セント(事業所得一万三五三九ドル四七セント、配当所得三六五ドル、雑所得六万四二九二ドル一二セント)である。

2  雑所得について

(一) 原告は税理士業を営む者であるが、亡金城マサ子(以下「マサ子」という。)から一九七一年(昭和四六年)一二月二四日に一一万ドル、一九七二年(昭和四七年)五月二日に四万ドル、合計一五万ドルを受領した。

(二) 原告が受領した右金員のうち、八万五七〇七ドル八八セントは、原告がマサ子からの要請によってマサ子、比嘉次郎(以下「次郎」という。)、比嘉秀正(以下「秀正」という。)及び安田哲之助(以下「安田」という。)の納税の資金に充てるために交付されたものであったが、残金六万四二九二ドル一二セントは、原告がマサ子及びその夫である金城盛吉(以下「盛吉」という。)の依頼に応じて同人らが別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)を取得する際及び譲渡する際に立会人として関与し、あるいはその間本件土地を同人らから委託を受けて管理するなど役務を提供したことに対する謝礼金として給付されたものである。したがって、これは琉球政府所得税法八条一項一〇号に規定する「雑所得」に該当する。

3  国は沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律七二条一項一号、沖縄の復帰に伴う国税関係法令の適用の特別措置等に関する政令一条一項の規定に基づいて琉球政府税たる所得税を承継し、被告はこれに基づいて本件処分をしたものであるが、原告の一九七二年度分所得税の総所得金額は右1のとおりであり、この金額は本件処分において認定した総所得金額六万三三六五ドル二二セントを超えるから、本件更正処分には所得を過大に認定した違法はなく、適法である。

また、以上述べたところから明らかなとおり、原告の一九七二年度分の所得税の修正確定申告には過少に申告した誤りがあり、かつ、この誤りについて琉球政府所得税法七一条一項所定の正当な事由がないので、同項の規定に基づいてなされた本件賦課決定処分も適法である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1のうち、事業所得と配当所得の金額は認めるが、その余の事実は否認する。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同(二)のうち、原告の受領した金員のうちに原告がマサ子からの要請によって、マサ子、次郎、秀正及び安田の納税の資金に充てるために交付された分が含まれていた事実は認めるが、その金額は八万五七〇八ドル三九セントである。その余の事実は否認する。

3  同3のうち、国が被告主張の法令の規定に基づき琉球政府税たる所得税を承継したことは認めるが、その余は争う。

五  被告の主張に対する原告の反論

1  土地の取得及び譲渡の経緯

(一) 原告と安田は、昭和三七年四月六日、安田住宅株式会社(以下「安田住宅」という。)の貸住宅建設用地とする目的で、浦添市字城間北宇治真等所在の土地約一万四〇〇〇坪を買い受けることを右土地の所有者らの代理人西原太郎らと合意し、原告は右代理人らに手付金一五〇〇ドルを交付した。その後売買目的である土地に多少の変更があり、同年五月中旬ころ、売買目的の土地七五筆を確定した。ところが、原告と安田は土地代金の金策がつかなかったため、盛吉を買主に加えて、原告、安田及び盛吉が、同年同月二六日、右土地合計七五筆を各所有者から代金三万六七二三ドル九〇セントで買い受けて代金全額を支払った。代金の負担割合は、原告が一五〇〇ドル(前記手付金を充当)、安田が一一九〇ドル四〇セント盛吉が三万四〇三三ドル五〇セントであった。

(二) 右土地取得に際し、原告、安田及び盛吉は次のとおり合意した。

(1) 右土地は各筆を右三名の共有とする。

(2) 右土地の二分の一を安田住宅の貸住宅用地として使用させる。

(3) 原告と安田は、売主との交渉、各筆の境界確定等に多大の労力を費したほか、原告はあっせん手数料五〇〇ドル、安田は登記、測量の費用等合計約七六〇ドルを立替払していたが、その払戻しは当分の間しないことになっていたので、これらの労力の提供や立替金のすえ置き期間を評価の上原告と安田の各共有持分に加える。(ただし、いくらに評価するかの明確な取決めはなかった。)

(三) 原告らが買い受けた右土地の登記名義については、真実の所有関係を明示することを嫌った盛吉の意向に従い、七五筆中六九筆は昭和三七年六月一一日付で盛吉の姪である奥間春子(以下「春子」という。)名義に所有権移転登記をし、更に昭和三九年一月三〇日付で同人からマサ子に対する所有権移転登記を経由した。その他の六筆については直ちに所有権移転登記手続をするのに支障があったので、後日、売主から春子若しくは西原太郎を経由してマサ子へ又は売主から直接にマサ子への所有権移転登記がなされた。

(四) 昭和四二年ころ、右(二)(2)の約定が事実上解消された状態になっていたことなどから、安田は、同(3)の約定に基づく共有持分だけを残すことにして、盛吉から右土地取得のために支払った売買代金及び立替金全額約三〇〇〇ドルの払戻しを受けた。盛吉は昭和四五年二月二四日死亡し、同人の右土地の共有持分はマサ子が相続した。マサ子は相続後間もなく同女の共有持分の一部を実弟である次郎及び秀正に贈与したが、贈与を受けた両名の共有持分割合は明確でなく、それぞれ原告の共有持分とほぼ同等のものとするということであった。

(五) その後、大蔵省(国)及び合資会社大球産業(以下「大球産業」という。)からマサ子に対し土地購入について交渉があった。それまでの間に、盛吉及びマサ子は他の共有者の同意を得て前記土地の一部を売却、交換していたほか、その売却代金や自己の出費で新たな土地を買い増してもいたので、共有の目的たる土地の範囲が不明確になっていた。そこで、原告、安田、マサ子、次郎及び秀正は、昭和四六年初めころ大蔵省及び大球産業に売買する土地に含まれない共有地はマサ子の単独所有地とし、その代わり大蔵省及び大球産業への売却地にマサ子の単独所有地が含まれていたときはそれを共有の目的たる土地に加えることにして、共有の目的たる土地の範囲を確定するとともに、売却代金を共有持分に従って分配することにより共有関係を清算することに合意した。そこで、そのために各土地の分筆、合筆が行われ、大蔵省及び大球産業に売却する土地(すなわち、原告らの共有の目的たる土地)の範囲が確定された。(これが本件土地である。)そして、原告ら共有者は、昭和四六年一一月一八日、マサ子名義で大蔵省に対し本件土地のうち三六五〇・〇五坪を代金二三万七二五三ドル(坪当たり単価六五ドル)で売り渡し、更に昭和四七年一月ころ、同様に大球産業に対しその余の九七六九坪を代金三九万〇七六〇ドル(坪当り単価四〇ドル)で売り渡した。

(六) 原告の共有者全員は、本件土地の売却代金総額が明らかになった昭和四七年初めころから協議を重ね、次のように売却代金を各共有者に分配し、各共有者はそれによって得た利益に相応する共有持分を有していたものとすることになった。

(1) 本件土地売却代金総額六二万八〇一三ドルから整地費用九万二二二五ドルを差し引いた五三万五七八八ドルのうち三八万五七八八ドルを次のように分配する。

(ア) マサ子 二八万五七八八ドル

(イ) 次郎 四万五〇〇〇ドル

(ウ) 秀正 四万五〇〇〇ドル

(エ) 安田 一万ドル

(2) 全共有者の一九七二年度分の税金総額及び原告の立替金合計額が一〇万五〇〇〇ドルと見込まれるので、原告には一五万ドルを交付して右税金等の支払に充てさせ、残額を原告に対する分配金とする。

(七) 原告を除く土地共有者全員の税金、原告の立替金及び原告の土地共有持分譲渡代金は次のとおりであり、合計一五万ドルとなる。

(1) 税金 八万五七〇八ドル三九セント

(ア) マサ子 六万六九二三ドル六八セント

(イ) 次郎 三九二二ドル九五セント

(ウ) 秀正 二〇三四ドル二四セント

(エ) 安田 一万二八二四ドル五二セント

(2) 原告の立替金 一〇九六ドル〇五セント

(ア) 土地あっせん手数料 五〇〇ドル

(イ) 謝礼金 三〇〇ドル

(ウ) 交際費 一八三ドル六一セント

(エ) お歳暮 四九ドル一八セント

(オ) その他土地売買関係費用 六三ドル二六セント

(3) 原告の土地共有持分譲渡代金 六万三一九五ドル五六セント

2  原告の一九七二年度分総所得金額

(一) 原告の一九七二年度分総所得金額の計算は次のとおりである。

(1) 事業所得 一万三五三九ドル四七セント

(2) 配当所得 三六五ドル

(3) 譲渡所得(〈5〉-〈6〉) 一万八〇二三ドル

〈1〉 譲渡代金 六万三一九五ドル五六セント

〈2〉 土地取得費 六三一九ドル

〈3〉 収用換地等の特別控除 二万ドル

〈4〉 特別控除 八三〇ドル

〈5〉 〈1〉-(〈2〉+〈3〉+〈4〉) 三万六〇四六ドル

〈6〉 二分の一特別控除 一万八〇二三ドル

(4) 総所得金額((1)+(2)+(3)) 三万一九二七ドル四七セント

(二) 原告がマサ子から受領した六万三一九五ドル五六セントは、本件土地売却代金総額六二万八〇一三ドルの一〇パーセント強に当たり、被告が主張するような役務提供の対価としては著しく相当性を欠くものである。原告は単に役務を提供したにとどまるものではなく、前述したように種々の出捐をしており、被告はこれを誤認している。

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求の原因1の事実は当該者間に争いがない。

二1  被告の主張1のうち事業所得と配当所得の金額については当事者間に争いがない。そこで、被告主張の雑所得の有無及びその金額について以下検討する。

2(一)  被告の主張2(一)の事実、同(二)のうち、原告の受領した合計一万ドルのうちに原告がマサ子からの要請によってマサ子、次郎、秀正及び安田の納税の資金に充てるために交付された分が含まれていた事実は当事者間に争いがない。

(二)  右争いのない事実に、原告本人尋問の結果によって原本の存在及び成立を認め得る甲第三、第四号証、成立に争いがない甲第五号証、第七号証、第八号証の一、二、第九ないし第一一二号証、乙第九、第一〇号証、第一三号証、原本の存在及び成立に争いがない乙第八号証の一ないし三、第一一号証、証人安田哲之助の証言(一部)、原告本人尋問の結果(一部)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、安田住宅の代表取締役安田と専務取締役であった原告は、昭和三七年四月ころ、安田住宅の賃貸住宅建設用地とする目的で、地主代表者である西原太郎ほか三名との間で浦添市字城間北宇治真ほか所在の土地約一万四〇〇〇坪を買い受ける旨を約し、同月四日手付金の一部として一五〇〇ドルを支払ったこと、右一五〇〇ドルは原告が出捐したが、原告と安田は残代金支払資金の調達ができなかったため、原告の遠縁に当たる盛吉に資金援助を依頼したところ、盛吉はこれを承諾したこと、そして、盛吉、安田及び原告は、前記地主代表者らの協力のもとに買受土地の境界の確定測量、耕作物の補償交渉、道路用地約五五〇坪についての第二次売買交渉等に当たり、同年五月二六日ころには最終的な売買契約が成立するに至ったこと、しかし、右買入れ交渉の途中からは専ら盛吉が自分自身で交渉に当たり、売買契約を締結したため、結局売買代金総額がいくらであったかについては原告も安田もこれを知らされていないが、右売買代金及び諸経費のうち原告が出捐した前記一五〇〇ドルと安田が出捐したという後述の三〇〇〇ドルを除く全額は盛吉がこれを出捐したこと、そして、右土地の登記関係の処理は専ら盛吉が当たり、そのほとんどは昭和三七年六月一一日付で各売主から盛吉の姪である春子名義に所有権移転登記が経由された後、昭和三九年一月三〇日付で盛吉の妻であるマサ子に対し同月二八日付売買を原因とする所有権移転登記がなされ、その余の土地についても昭和四二年ころまでには春子又は前記西原太郎名義を経てマサ子の登記名義に移されたこと、このようにして買い入れられた土地は、盛吉の意向で安田住宅の賃貸住宅建設用地としては利用されずそのまま放置されたこと、安田はこれに対し不満であったが、結局昭和四二年ころ盛吉から右土地買入れ等に出捐した諸費用の償還として三〇〇〇ドルの支払を受け、事実上右土地から手を引く形となったこと、盛吉は昭和四五年二月二四日死亡し、マサ子が右土地に関する盛吉の権利を相続により取得したが、マサ子が昭和四六年三月ころ右土地を大蔵省(国)及び大球産業へ売り渡すこととし、原告にも相談したこと、右土地の一部には盛吉の生前に既に同人が別途取得した他の土地と交換されていたものもあったが、大蔵省及び大球産業への売却に先立って、右交換取得地や盛吉が別途購入していた土地なども一部含めて合筆、分筆がなされ、売却の対象となる土地の範囲が確定されたこと(これが本件土地である。)原告及び安田は右合・分筆には一切関与していないこと、しかして、本件土地の一部三六三〇坪五勺が昭和四六年一一月一八日代金二三万七二五三ドルで大蔵省に対し、その余は昭和四七年一月ころ代金三九万〇七六〇ドルで大球産業に対し、それぞれ売り渡されたこと、原告は右各売買契約締結に立会ったが、大蔵省との間の売買契約書においては売主はマサ子と明示されており、また、大球産業との間の売買契約についても、契約交渉にあたったのはマサ子本人、同女の病気入院後はその意を受けた春子であり、売買契約書も売主をマサ子として作成されたため、同会社の代表者仲松弥春は、売主はマサ子であって、原告は単なる立会人であると考えていたこと、本件土地の売買代金総額から整地費用を控除した残額は約五〇万ドルで、このうち次郎、秀正が各四万五〇〇〇ドル、安田が一万ドル、原告が一五万ドル(ただし、その中には後述のマサ子ほか三名の納税資金を含む。)を受け取ったのであるが、原告が共有者である旨主張している次郎、秀正及び安田は、右所得を一時所得(マサ子からの贈与による所得)として所得税の申告をしており、本件土地について同人らが共有持分を有していたことを前提とする譲渡所得としての申告をしていないこと、以上のような事実が認められる。

(三)  ところで、原告は、本件土地は盛吉(又はその相続人たるマサ子)と原告及び安田との共有であった旨主張し、証人安田哲之助の証言及び原告本人尋問の結果中には右主張に副う供述があるけれども、真実右三者の本件土地をめぐる関係が共有であるならば、前示のような右三者の間柄や事柄の性質から考えて、当然右三者間の契約関係ないし持分割合を示す文書が作成されていて然るべきであるのに、そのような文書が作成されていないことは弁論の全趣旨に照らして明らかである。(甲第六号証については後述する。)のみならず、前示認定のとおり、原告及び安田は、盛吉の出捐した土地購入代金や諸経費の額を知らず、購入後の所有権移転登記手続や盛吉が生前に別途取得していた土地との交換、更には大蔵省及び大球産業への売却に先立って行われた右交換取得地及び他の盛吉所有地との合・分筆手続にも一切関与しておらず、言わば聾桟敷に置かれていたのであって、このような事実は、右三者の関係を共有と見るにはあまりにも不自然というほかはない。更に、成立(乙第一号証の三、四については、原本の存在と成立)に争いのない乙第一号証の一ないし四、第二号証の一、二、第四号証の一ないし三、第六号証並びに弁論の全趣旨によれば、原告の共有持分割合に関する主張は、確定申告、修正確定申告、異議申立、審査請求の各段階で変転していて一貫しておらず、この点も原告の前記主張に疑念を抱かせる大きな根拠として指摘せざるを得ない。なお、甲第六号証(大球産業との間の不動産売買仮契約書)中には、「売主代表金城マサ子」という記載があり、売主として、マサ子、次郎、秀正、原告及び安田の記名押印がされているのであるが、他方、前掲乙第九、第一〇号証によれば、右仮契約書は、大蔵省及び大球産業との間の本契約締結に先立ち大球産業において宅地造成工事を行うための便宜上暫定的に作成されたもので、大球産業の代表者仲松弥春は、仮契約書の存在自体に重きを置いておらず、右のような売主の記載についても知らない旨述べていることが認められ、右事実や大球産業との売買交渉がマサ子自身及びその意を受けた春子によって行われ、売買契約書も売主をマサ子として作成されたという前認定の事実に照らすと、仮契約書である甲第六号証の右記載をもって、原告らを本契約における売主であると認めることもできない。

以上検討したところに前記認定の事実を総合すると、本件土地が盛吉又はその相続人たるマサ子と原告及び安田との共有であったとの原告の主張並びにこれに符合する証人安田及び原告本人の供述は到底採用できず、本件土地は盛吉及びその相続人たるマサ子の単独所有であったものと認めるのが相当であり、マサ子が原告に支払った一五万ドルのうちマサ子ほか三名の納税資金に充てるために交付された分を除くその余の金員は、原告が本件土地(ただし、前示盛吉の交換取得地及び別途取得地を除く。)の取得・境界確定・測量・耕作物の補償交渉や本件土地譲渡に際し立会人として契約締結に関与する等種々の役務を提供したこと等に対する報酬ないし謝礼金として給付されたものと推認することができる。

原告は、マサ子から受領した一五万ドルの中には立替金(土地あっせん手数料、謝礼金、交際費、お歳暮、その他本件土地売買関係費用)一〇九六ドル〇五セントが含まれている旨主張するが、これらの支出が行われたことを証する確実な証拠がないのみならず、仮にこれらの支出が行われたとしても、それらが本件土地の取得、譲渡と相当因果関係がある支出として盛吉又はマサ子から原告が返済を受けるべき立替金としての性質をもつものであったと認めるべき証拠もない。更に、原告は本件土地の取得の際一五〇〇ドルの手付金を支払った旨主張しているが、前認定の事実によれば、原告と安田は当初安田住宅のために土地の買入れをしようとしていたものであると認められるから、原告が手付金の資金として出捐した一五〇〇ドルは安田住宅に対し原告が資金の融資をしたものと推認すべく、盛吉又はマサ子と原告との間で精算されるべき筋合のものではないといわなければならない。

なお、原告は、原告の受け取った金額は被告が主張するような役務提供の対価としては著しく相当性を欠く旨主張するが、前認定のとおり、原告は安田とともに本件土地の取得に先べんをつけた者であり、また、取得土地の境界確定、測量、耕作物の補償交渉にも少なからぬ努力をしたうえ、本件土地の譲渡に際してもマサ子から相談にあずかるなどの行為をしているのであるから、そのような特段の行為をした事実も認められない次郎や秀正の取り分と対比しても、原告の右主張は理由がないというべきである。

(四)  原告がマサ子から受領した一五万ドルのうちマサ子ほか三名の納税資金として交付された金員の額については争いがあるけれども、原告主張の八万五七〇八ドル三九セントを下まわることを認めるに足りる的確な証拠はないから、右原告主張額を右金員の額と認めるほかはない。

3  以上を要するに、原告がマサ子から受け取った一五万ドルのうちマサ子ほか三名の納税資金に充てるためのものと認められる八万五七〇八ドル三九セントを除く六万四二九一ドル六一セントは、原告が本件土地の取得、譲渡に際し前示のような種々の役務を提供したこと等に対する報酬ないし謝礼金として給付されたものであると認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。そうすると、原告の右収入は琉球政府所得税法八条一項一〇号に規定する「雑所得」に該当し、これに前示争いのない事業所得一万三五三九ドル四七セント、配当所得三六五ドルを加えると、原告の一九七二年度分総所得金額は七万八一九六ドル〇八セントとなり、本件処分において認定した総所得金額六万三三六五ドル二二セントを超えることが明らかであるから、本件更正処分には所得を過大に認定した違法はなく、適法である。

また、本件全証拠によるも、原告の一九七二年度分の所得税の修正確定申告において所得を過少に申告したことについて琉球政府所得税法七一条一項所定の正当な事由があったとは認められないから、同項の規定に基づいてなされた本件賦課決定処分にも何らの違法はない。

三、昭和四七年五月一五日沖縄の復帰に伴い、沖縄の法令により琉球政府が課した若しくは課すべき琉球政府税のうち本邦の国税に相当するものとして政令で定められたものは国がこれた承継したものであり(沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律七二条一項一号)、所得税は国が承継すべき国税相当の琉球政府税とされているところ(沖縄の復帰に伴う国税関係法令の適用の特別措置等に関する政令一条一項)、被告は右各法令に基づいて本件処分をしたものであり、前示のとおり本件処分にはその取消事由となるべき違法はない。

四、以上の次第で、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 魚住庸夫 裁判官 徳嶺弦良 裁判官 西尾進)

別表1

課税処分及び不服申立ての経緯

〈省略〉

物件目録

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